朝会社に行ったら、今アサインされてるプロジェクトのマネージャー(アメリカ人)が、今週July 4thのバケーションで休んでるらしく、pacific timeで朝まで対応してもらえなそうなので、とりあえず家に帰ってきましたわ。
それにしても暑いわね。この湿気が特にね。
家で仕事の時、この季節はA/Cつけないとやってられないわ。
私、暑さにめっぽう弱い。
冬の方が好き。ファッションも。
あー。ハワイに行きたい。
こうなったらグアムでもいいやー。
海辺にねっ転がりながら、だらだらと小説でも読みたい気分だわねー。
(写真は去年行ったハワイ・ワイキキ。私は海外ビーチの監視台がなんか好き☆)
さっき、非公開にしてる昔のエントリー読んでみたら、とっても懐かしかった。
2004年のエントリーって軽く6年前だよ!? わお!!
サンタモニカの家、懐かしいな。
私が住んだ後、兄一家が住み(2年前こちら一家も帰国)、その後は人に貸しておりましたが、もうさすがに誰もLAに住むことは今後なさそう・・・ってことで、去年両親が売りに出しました。おそらくLAの不動産は2006年あたりがピークでその後は、ご存じのようにvalueは下がる一方・・・。
古い家だったけど、ロケーションは最高だったよ。Main Street.に近いところです。。
基本、ローカルの人がのんびりショッピング・お茶するような感じなんだけど、最近だとあの有名なセレクトショップPlanet Blue があったり、とっても好きなエリアです。
ご近所さんも昔から住んでて、いい人たちばかりだったなー。
昔のエントリーに 「block party」のこと書いてる記事があるけど、
ここにいる、ジンは、私が完全帰国する3日前に癌で亡くなりました。73歳でした。
9月1日がジンの誕生日だったんだけど、誕生日パーティーでみんなに「実は俺は癌にかかってるんだ!でも絶対あきらめない!!」って高らかに宣言して、その強さをとっても尊敬してました。
で、なくなったのは12月23日。亡くなる前夜に、もうすぐ日本に帰っちゃうよー、って報告に行こうと思ったら、容態が急変しもうお話ができないほど衰弱した姿になってて、これが一生の別れになると直感的にわかり、号泣してしまいました。
ジンはね・・・・。
アメリカのおじいちゃんです。 私が2004年にアメリカにわたってサンタモニカの家で一人で生活を始めた時、一番近くで心配してくれてた保護者です。
夜は、いつも 「かんなー、ちゃんとカギかけた?」って隣の庭から声をかけてくれてたし、
ゴミの日は 「表にだしとくよー」っていっつもやってくれたし(LAはでっかい専用ボックスを道に出す)、
ペーパーの文法チェックは、持っていったらいっつも読んで直してくれたし・・・・・
数えたらきりがないくらい、沢山沢山、お世話になって、愛をもらいました。
離婚して子どもとも離れ離の生活が長かったようで、孤独な最後だったのかもしれません。
でも、ほんとに愛にあふれ、いつも笑顔で友達に囲まれていた印象です。
若いころは写真家として活動してたようで、ジンの家は70過ぎの人が住む部屋とは思えないほど、センスに満ち溢れた部屋に住んでいたし、ジーンズを常にはくおしゃれな人でした。
ベニスのphoto schoolで講師をしてることもあったし、自分が撮りためた写真を73歳のbirthday partyにカッコよく演出してたね。
とってもとっても素敵な、愛にあふれた人でした。
学校から帰ってきて、庭先でジンを発見して、あれやこれやとたわいもない話をして、家に帰るときにはいっつもbig hugしてくれたんだ。
今頃、自由に空飛んで、大好きな写真をパシャパシャとってそうだな~
I miss you so much Gene....
時は過ぎて行くね。
それに伴い環境も変わるし。
それでも大事な人との思い出は普遍だね。
サンタモニカの家も、まわりにいた人も、すごく I miss everything! だけど、
大切なことは全部心に残ってるし、いつでも思い出せる。
それだけで十分だね。
で、この大事な思い出(なんかこういうととっても軽く聞こえるのはなんだろう?something very special to meなかんじを言いたい・・・)があれば、困難はある程度乗り越えられると思う。
まずは・・・今日やる仕事を終わらす!
それにしても暑いわね。この湿気が特にね。
家で仕事の時、この季節はA/Cつけないとやってられないわ。
私、暑さにめっぽう弱い。
冬の方が好き。ファッションも。
あー。ハワイに行きたい。
こうなったらグアムでもいいやー。
海辺にねっ転がりながら、だらだらと小説でも読みたい気分だわねー。
(写真は去年行ったハワイ・ワイキキ。私は海外ビーチの監視台がなんか好き☆)
さっき、非公開にしてる昔のエントリー読んでみたら、とっても懐かしかった。
2004年のエントリーって軽く6年前だよ!? わお!!
サンタモニカの家、懐かしいな。
私が住んだ後、兄一家が住み(2年前こちら一家も帰国)、その後は人に貸しておりましたが、もうさすがに誰もLAに住むことは今後なさそう・・・ってことで、去年両親が売りに出しました。おそらくLAの不動産は2006年あたりがピークでその後は、ご存じのようにvalueは下がる一方・・・。
古い家だったけど、ロケーションは最高だったよ。Main Street.に近いところです。。
基本、ローカルの人がのんびりショッピング・お茶するような感じなんだけど、最近だとあの有名なセレクトショップPlanet Blue があったり、とっても好きなエリアです。
ご近所さんも昔から住んでて、いい人たちばかりだったなー。
昔のエントリーに 「block party」のこと書いてる記事があるけど、
ここにいる、ジンは、私が完全帰国する3日前に癌で亡くなりました。73歳でした。
9月1日がジンの誕生日だったんだけど、誕生日パーティーでみんなに「実は俺は癌にかかってるんだ!でも絶対あきらめない!!」って高らかに宣言して、その強さをとっても尊敬してました。
で、なくなったのは12月23日。亡くなる前夜に、もうすぐ日本に帰っちゃうよー、って報告に行こうと思ったら、容態が急変しもうお話ができないほど衰弱した姿になってて、これが一生の別れになると直感的にわかり、号泣してしまいました。
ジンはね・・・・。
アメリカのおじいちゃんです。 私が2004年にアメリカにわたってサンタモニカの家で一人で生活を始めた時、一番近くで心配してくれてた保護者です。
夜は、いつも 「かんなー、ちゃんとカギかけた?」って隣の庭から声をかけてくれてたし、
ゴミの日は 「表にだしとくよー」っていっつもやってくれたし(LAはでっかい専用ボックスを道に出す)、
ペーパーの文法チェックは、持っていったらいっつも読んで直してくれたし・・・・・
数えたらきりがないくらい、沢山沢山、お世話になって、愛をもらいました。
離婚して子どもとも離れ離の生活が長かったようで、孤独な最後だったのかもしれません。
でも、ほんとに愛にあふれ、いつも笑顔で友達に囲まれていた印象です。
若いころは写真家として活動してたようで、ジンの家は70過ぎの人が住む部屋とは思えないほど、センスに満ち溢れた部屋に住んでいたし、ジーンズを常にはくおしゃれな人でした。
ベニスのphoto schoolで講師をしてることもあったし、自分が撮りためた写真を73歳のbirthday partyにカッコよく演出してたね。
とってもとっても素敵な、愛にあふれた人でした。
学校から帰ってきて、庭先でジンを発見して、あれやこれやとたわいもない話をして、家に帰るときにはいっつもbig hugしてくれたんだ。
今頃、自由に空飛んで、大好きな写真をパシャパシャとってそうだな~
I miss you so much Gene....
時は過ぎて行くね。
それに伴い環境も変わるし。
それでも大事な人との思い出は普遍だね。
サンタモニカの家も、まわりにいた人も、すごく I miss everything! だけど、
大切なことは全部心に残ってるし、いつでも思い出せる。
それだけで十分だね。
で、この大事な思い出(なんかこういうととっても軽く聞こえるのはなんだろう?something very special to meなかんじを言いたい・・・)があれば、困難はある程度乗り越えられると思う。
まずは・・・今日やる仕事を終わらす!
#
by spiralmind
| 2010-07-05 15:31